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『佛教論叢』60号~31号(PDF)
教学院で発行した『佛教文化研究』の目次およびPDFデータを掲載しております。目次の検索については、Webブラウザの「ページ内検索」機能を利用してください。
第60号(2016年)
第59
号(2015年)
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マーク ブラム「世界に共生(ともいき)を その社会的実践」
佐藤 良純「世界に共生(ともいき)を その社会的実践」
前島 格也「世界に共生(ともいき)を その社会的実践」
藤本 浄彦「世界に共生(ともいき)を その社会的実践」
田中 勝道「世界に共生(ともいき)を その社会的実践」
戸松 義晴「世界に共生(ともいき)を その社会的実践」
遠藤 聡明「貞享以前の津軽領内浄土宗の寺院情勢」
大橋 雄人「良忠『観経疏伝通記』における『往生要集』の引用について」
大屋 正順「『釈浄土群疑論』敦煌写本S二六六三について」
西城 宗隆「袈裟について」
袖山 榮輝「四十八願における第四願と第五願の連続性」
曽根 宣雄「『逆修説法』三七日に説かれる清浄光・歓喜光・智慧光について」
中井 真孝「法然上人流罪考」
前島 信也「『広疑瑞決集』における引用文献」
村上 真瑞「神谷正義氏所論「法然教学と共生」にお答えする」
石田 一裕「高校倫理教科書における法然上人の記述問題について」
石田 孝信「浄土宗の布教」
今岡 達雄「現代の諸問題と仏教福祉」
長田 正澄「増上寺における清揚院殿霊廟造営と大法要」
勝部 正雄「ともに極楽に生じて仏道を成ぜん」
加藤 善也「祭文の研究」
中御門 敬教「醍醐本『法然上人伝記』に見る法然上人の住処」
齊藤 舜健「『浄土宗全書続』検索システム公開について(Ⅱ)」
佐藤 堅正「『浄土宗全書続』検索システム公開について(Ⅰ)」
近藤 辰巳「Yoga-sūtra Bhāṣya Vivaraṇa試訳(第1章23~24)」
清水 俊史「仏滅後に説かれた初期経典の権威性」
唐井 隆徳「「六処」という用語と縁起説」
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大南 龍昇「これからの浄土宗僧侶像を考える」
今岡 達雄「これからの浄土宗僧侶像を考える」
清水 秀浩「これからの浄土宗僧侶像を考える」
松岡 玄龍「これからの浄土宗僧侶像を考える」
田中 典彦「これからの浄土宗僧侶像を考える」
田中 典彦「これからの浄土宗僧侶像を考える」
松岡 玄龍「これからの浄土宗僧侶像を考える」
清水 秀浩「これからの浄土宗僧侶像を考える」
今岡 達雄「これからの浄土宗僧侶像を考える」
江島 尚俊「明治二十年代にみる文部省の政策転換」
遠藤 聡明「享保年代の津軽領内浄土宗の寺院情勢」
大屋 正順「杏雨書屋所蔵『釈浄土群疑論第七』について」
勝崎 裕之「聖冏『教相十八通』第二重について」
齊藤 舜健「浄土宗の浄土三部経③『観経』理解について」
曽根 宣雄「法然上人の世界観」
中井 真孝「法然上人流罪考」
南 尊融「洛西の律院「成等庵」の沿革について」
石田 一裕「浄土宗と真宗の『阿弥陀経』理解の相違」
石田 孝信「宗祖の真意」
加藤 善也「祭文の研究」
佐藤 一彦「山形教区における浄土宗少年信行道場開催への取り組みとその変遷」
花木 信徹「尼入道と一枚起請文の論旨についての一考察」
宮澤 正順「散華とその模様について」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』に説かれる浄穢の顕現」
吉田 祐倫「万葉集と仏教について」
山中 良隆「「広めよう はなまつり」体験ゲーム」
清水 俊史「梵文Mahajjātakamālāにおける阿弥陀仏本願」
佐藤 堅正「浄土宗の浄土三部経①」
清水 俊史「KaruṇāpuṇḍarīkaとMahajjātakamālāにおける阿弥陀仏本願」
近藤 辰巳「Yoga-sūtra Bhāṣya Vivaraṇa試訳(第3章1~8)」
唐井 隆徳「初期経典におけるupadhi」
第58号(2014年)
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宮林 昭彦「浄土宗の授戒の本質」
後藤 真法「授戒会・帰敬式」
西城 宗隆「授戒会・帰敬式」
阪口 祐彦「授戒会・帰敬式」
林田 康順「授戒会・帰敬式」
安孫子 稔章「『逆修説法』五七日における『無量寿経』解釈について」
石田 一裕「弥陀三尊の身量について」
遠藤 聡明「元禄年代の津軽領内浄土宗の寺院情勢」
大澤 亮我「『吉水瀉瓶訣』について」
大橋 雄人「良忠の仏土観」
工藤 和興「女人成仏・女人往生の問題について」
郡嶋 昭示「聖光在世時における九州北部の仏教思想について」
齋藤 蒙光「法然上人の『往生要集』観について」
杉山 裕俊「『安楽集』と二諦説について」
曽田 俊弘「対人援助の観点から見た法然仏教(一)」
曽根 宣雄「報身について」
永田 真隆「中世における往生伝について」
中御門 敬教「『興福寺奏上』「第七誤念仏失」の念仏義」
林 竹人「絵詞高田敬輔とその作品」
前島 信也「白河義の思想について」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』に説かれる浄土と三性」
吉水 岳彦「「宗」の三義説―独尊・統摂・帰趣―(3)」
石田 孝信「宗歌の真意」
加藤 善也「祭文の研究」
齊藤 舜健「浄土宗基本典籍の電子テキスト化」
佐藤 堅正「浄土宗基本典籍の電子テキスト化」
林田 康順「高等学校公民科「倫理」教科書における法然上人と親鸞聖人の取り扱いをめぐる一考察」
清水 俊史「パーリ上座部における宿作因論批判」
齋藤 知明「明治二〇年代の教育雑誌にみる宗教教育論」
近藤 辰巳「Yoga-sūtra Bhāṣya Vivaraṇa試訳(2章-48~2章-55)」
大屋 正順「北朝期の浄土教関係敦煌写経について」
第57号(2013年)
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17.0 MB
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中野 正明「基調講演 800年大遠忌後の浄土宗の課題と展望」
長谷川 匡俊「シンポジウム 800年大遠忌後の浄土宗の課題と展望」
佐藤 晴輝「シンポジウム 800年大遠忌後の浄土宗の課題と展望」
袖山 榮輝「シンポジウム 800年大遠忌後の浄土宗の課題と展望」
藤本 浄彦「シンポジウム 800年大遠忌後の浄土宗の課題と展望」
清水 秀浩「シンポジウム 800年大遠忌後の浄土宗の課題と展望」
朝岡 知宏「永観の『往生拾因』著述における立場 」
石上 壽應「「蓮宗」の語義の変遷について 」
今岡 達雄「原子力発電問題について」
巌谷 勝正「増上寺第三十六世顕誉祐天と常念仏」
魚尾 和瑛「災害と宗教」
遠藤 聡明「江戸時代津軽領内の特例的浄土宗寺院の系譜 」
大河内 大博「震災時の悲嘆ケア」
工藤 和興「法然上人の継承者たち」
郡嶋 昭示「聖光の当時の仏教に対する主張」
西城 宗隆「懺悔会について」
齋藤 蒙光「法然上人の念仏思想における身体性と情緒性」
坂上 雅翁「災害時における颯田本真尼の対応について」
東海林 良昌「江戸期における災害物故者への念仏回向について 」
曽根 宣雄「『三十四箇事書』所説の無作の三身 」
永田 真隆「近世における往生伝について 」
沼倉 雄人「『伝通記』における実践行」
林田 康順「法然上人における中陰について」
宮澤 正順「法然上人の「樵・草刈・菜摘・水汲」の御法語について」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』における抑揚的証明 その2」
渡部 伸一「会津地方の藤田派の動静について」
上田 千年「「仏教福祉」述語整理上の問題点4」
加藤 善也「祭文の研究」
小林 善道「東日本大震災における全浄青の活動 」
佐藤 健「法然浄土教と現代社会」
樋口 伸生「東日本大震災の葬送」
横井 照典「念仏の絆源智上人について」
石田 一裕「慈悲は如何に示されるか」
勝部 正雄「青年授戒」
田中 芳道「ポルトガル語『浄土宗日常勤行式』」
清水 俊史「部派仏教における飲酒学処の教理的理解 」
佐藤 堅正「七百頌般若梵語写本の文字」
齊藤 舜健「世自在王仏の選択をめぐって」
近藤 辰巳「Yoga-sūtra Bhāṣya Vivaraṇa試訳(2章-35~2章-47)」
第56号(2012年)
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16.3 MB
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八木 季生「八百年大遠忌を迎えて――法然上人のみ教えと現代(いま)」
名和 清隆「法然上人のみ教えと現代(いま)」
松岡 玄龍「法然上人のみ教えと現代(いま)」
曽根 宣雄「法然上人のみ教えと現代(いま)」
今岡 達雄「法然上人のみ教えと現代(いま)」
安孫子 稔章「『逆修説法』六七日所説の名号観について」
石上 壽應「明末における律学の復興について」
石川 達也「江戸末期の檀林修学について」
今岡 達雄「生殖補助医療の倫理的問題点」
上田 千年「「仏教福祉」述語整理上の問題点3」
遠藤 聡明「宝永・正徳年間の津軽領内浄土宗の寺院情勢」
加藤 善也「祭文の研究」
工藤 和興「源智上人の願文について」
郡嶋 昭示「『徹選択集』の思想提唱の意義について」
東海林 良昌「『円光大師御伝書』と『弘法大師念仏口伝集』について」
袖山 榮輝「極楽の「極」をめぐって2」
田中 芳道「黄檗僧念仏獨湛の絵画に見る浄土教」
永田 真隆「隆円と往生伝」
沼倉 雄人「良忠述『観経疏伝通記』と『東宗要』巻一について」
林田 康順「法然上人における来迎思想の展開」
宮澤 正順「源智造立願文の教道厳訓の恩徳について」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』における抑揚的証明」
石田 一裕「仏教徒にとっての科学の意味」
魚尾 和瑛「災害と宗教」
小林 惇道「小集団における慰霊・追悼」
丹羽 一誠「寺院と社会福祉事業」
八橋 秀法「八橋玉純師の生涯について」
成田 勝美「浄土宗の師資相承とは」
三宅 敬誠「家族の絆について①」
横井 照典「家族の絆について②」
横井 照典「古典文学の中の法然上人」
清水 俊史「有部阿毘達磨論書におけるアングリマーラ」
佐藤 堅正「七百頌般若梵語写本と蔵訳の対応」
齊藤 舜健「「速得漏尽願」をめぐって」
近藤 辰巳「Yoga-sūtra Bhāṣya Vivaraṇa試訳(2章-32~2章-34)」
第55号(2011年)
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4.9 MB
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中井 真孝「『法然上人伝』の成立について」
善 裕昭「法然上人伝について」
大澤 亮我「法然上人伝について」
野村 恒道「法然上人伝について」
粂原 恒久「法然上人伝について」
中野 正明「法然上人伝について」
朝岡 知宏「永観の仏身仏土観」
石上 壽應「明末における『楞厳経』註釈書について」
石川 達也「浄土宗侶の徳川物語」
伊藤 正芳「法要儀式としての『知恩講私記』」
上田 千年「「仏教福祉」術語整理上の問題点2」
江島 尚俊「「指標の交代」からみる日本近代仏教」
遠藤 聡明「元禄年代の津軽・南部領に来訪した廻国・開帳・説法・勧進」
加藤 善也「祭文の研究」
西城 宗隆「堀井慶雅上人 その思想と行動」
齋藤 蒙光「法然の念仏思想における本願の意義」
袖山 榮輝「極楽の「極」をめぐって」
西村 実則「戴冠仏の起源」
林田 康順「法然上人「選択」思想成立の背景」
村上 真瑞「法然上人における諸行と共生」
山路 芳範「『義楚六帖校訛』考 2」
曽根 宣雄「浄土宗祖師の教説と福祉思想2 法然」
郡嶋 昭示「浄土宗祖師の教説と福祉思想3 聖光」
永田 真隆「浄土宗祖師の教説と福祉思想4 良忠」
吉水 岳彦「浄土宗祖師の教説と福祉思想5 聖冏」
石田 一裕「仏教と科学」
齋藤 知明「近代浄土宗教史研究のこれまでとこれから」
佐々木 諦道「『讃岐の法然上人』について」
佐藤 堅正「自然科学の勉強をしましょう」
髙瀬 顕功「仏教者の路上生活者支援における現状と課題」
花木 信徹「「月影」の歌の解釈について」
横井 照典「教団組織のあり方」
沼倉 雄人「良忠上人における見仏について」
小川 慈祐「宗教とツーリズム」
成田 勝美「「念仏往生」を決定づけるものは何か」
清水 俊史「有漏業による業滅」
齊藤 舜健「〈無量寿経〉における「無量寿」の意味」
近藤 辰巳「Yoga-sūtra Bhāṣya Vivaraṇa試訳(2章-29~2章-31)」
井上 広法「遺族における法事の心理的役割の検討」
第54
号(2010年)
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4.6 MB
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柴田 哲彦「五重相伝について」
横井 照典「五重相伝の歴史と現状」
正村 瑛明「五重相伝の歴史と現状」
宇高 良哲「五重相伝の歴史と現状」
今岡 達雄「五重相伝の歴史と現状」
日下部 謙旨「五重相伝のこれから」
後藤 真法「五重相伝のこれから」
林田 康順「五重相伝のこれから」
西城 宗隆「五重相伝のこれから」
石田 一裕「〈無量寿経〉発起序の一考察」
稲岡 正順「「唐律」と中国浄土教」
遠藤 聡明「万延以降の津軽領内浄土宗寺院の動向」
小川 祐子「宗教とツーリズム」
工藤 量導「迦才『浄土論』における吉蔵の影響」
郡嶋 昭示「聖光の浄土教思想に見られる対他宗的要素について」
齋藤 知明「昭和前期における「宗教的情操」教育」
齋藤 蒙光「法然浄土教における往生浄土」
柴田 泰山「『無量寿経』所説の世自在王仏について」
曽根 宣雄「法然上人の万徳所帰論について」
髙瀬 顕功「永観の念仏観」
田中 芳道「独湛と浄土宗の諸師」
永田 真隆「『称名念仏奇特現証集』における奇瑞について」
沼倉 雄人「良忠述『観経疏伝通記』における引用典籍について」
野笹 浄照「仏教と女性」
林田 康順「法然上人「選択」思想の成立とその意義」
南 宏信「東向観音寺蔵良忠撰『浄土宗要集』について」
三宅 徹誠「養鸕徹定の著作より見る袋中蒐集一切経とその来歴」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』に説かれる浄土の三界摂不摂論と善導教学との関係」
吉水 岳彦「「宗」の三義説」
伊藤 正芳「木魚念仏不退円説上人研究(1)」
今岡 達雄「医療技術の進展と浄土教」
上田 千年「「仏教福祉」述語整理上の問題点1」
大田 珠光「五重相伝における日課誓約について」
加藤 善也「祭文の研究」
加藤 良光「昭和十八年『共生』誌における椎尾辨匡師の言説について」
成田 勝美「五重相伝について」
三宅 敬誠「ヨコ社会の確立と五重講の役割(I)」
鈴木 知見「『元祖大師御法語』の現代語訳本を出版して」
横井 照典「ヨコ社会の確立と五重講の役割(II)」
廣中 宏雄「浄土宗声明の譜表等に関する一考察(X)」
中村 法道「Ārya-VimuktisenaによるAbhisamayālaṃkāravṛttiの第8章と奥付」
齊藤 舜健「〈無量寿経〉の須弥山の有無をめぐる問答」
第53号(2009年)
水谷 幸正「宗侶とは」
上田 見宥「宗侶教育の現状と課題」
林田 康順「宗侶教育の現状と課題」
熊井 康雄「宗侶教育の現状と課題」
武田 道生「宗侶教育の現状と課題」
上田 見宥「「宗侶教育の現状と課題」(質疑応答及び討議)」
林田 康順「「宗侶教育の現状と課題」(質疑応答及び討議)」
熊井 康雄「「宗侶教育の現状と課題」(質疑応答及び討議)」
武田 道生「「宗侶教育の現状と課題」(質疑応答及び討議)」
石川 達也「摂門『浄家進学日札』について」
石田 一裕「解釈のあり方―『婆沙論』を通して―」
稲岡 正順「善導『観経疏』凡夫説の一考察」
江島 尚俊「大乗非仏説論と近代日本の仏教」
遠藤 聡明「嘉永・安政年間の津軽領内浄土宗寺院の動向」
小川 慈祐(小川祐子)「宗教とツーリズムの接点」
工藤 和興「日本中世の願文・表白と浄土三部経」
郡嶋 昭示「聖光の諸行往生説について」
齊藤 舜健「無量寿経における菩薩の往生」
齋藤 知明「明治二〇年代における仏教教団と公教育」
齋藤 蒙光「法然上人における出離生死の意義」
柴田 泰山「『大阿弥陀経』所説の歎仏偈対応箇所について」
曽根 宣雄「万法の弥陀について」
曽田 俊弘「勢観房源智上人記『臨終記』について」
袖山 榮輝「『阿弥陀経』と『無量寿経』光明歎徳章」
田中 芳道「念仏独湛について」
永田 真隆「往生伝における「三昧」」
西村 実則「洋行前の荻原雲来」
沼倉 雄人「良忠における深心釈について」
村上 真瑞「懷感の「是心作仏是心是仏」釈に関わる一考察」
横井 大覚「社会関係資本概念の一考察」
吉水 岳彦「元照における二種の往生」
今岡 達雄「地球環境問題と浄土教」
梅田 慈弘「「与謝蕪村の青年時代」を偲ぶ」
加藤 善也「祭文の研究」
加藤 良光「浄土宗報国会について」
西城 宗隆「千葉満定上人の思想と行動」
阪口 祐彦「徳本行者全集拾遺-岸和田 光攝寺-」
成田 勝美「浄土宗西山派への他力念仏の相承」
吉田 祐倫「供養絵額の風習について」
三宅 敬誠「ヨコ社会の確立と五重相伝(Ⅰ)」
横井 照典「ヨコ社会の確立と五重相伝(Ⅱ)」
望月 充現「宗教的情操の涵養」
廣中 宏雄「浄土宗声明の譜表等に関する一考察(IX)」
第52号(2008年)
長谷川 匡俊「基調講演:宗教教育に期待するもの」
平野 仁司「シンポジウム1:宗教教育を考える」
落合 崇志「シンポジウム1:宗教教育を考える」
川添 崇「シンポジウム1:宗教教育を考える」
家田 光信「シンポジウム1:宗教教育を考える」
川添 崇「シンポジウム2:宗教教育を考える(全体会)」
家田 光信「シンポジウム2:宗教教育を考える(全体会)」
平野 仁司「シンポジウム2:宗教教育を考える(全体会)」
落合 崇志「シンポジウム2:宗教教育を考える(全体会)」
石川 達也「虎角「釈浄土二蔵義序」について」
石田 一裕「「三世実有」をめぐる争い」
伊藤 瑛梨「西方極楽浄土の荘厳について3」
遠藤 聡明「天保・弘化年間の津軽領内浄土宗寺院の動向」
大田 明光「聖光上人における念仏の数について」
加藤 善也「祭文の研究」
工藤 量導「迦才『浄土論』における念仏行」
粂原 恒久「道綽身土論一考」
西城 宗隆「阿弥陀懺法について」
齋藤 知明「澤柳政太郎における宗教と教育」
齋藤 蒙光「法然浄土教における出離生死の課題」
柴田 泰山「『無量寿経』所説の五悪段の意図について」
東海林 良昌「隆円書写『円光大師御伝書』について」
曽田 俊弘「法然上人記『夢記』について」
曽根 宣雄「実体化用論について」
袖山 榮輝「『大阿弥陀経』に於ける願文の配列をめぐって」
永田 真隆「中国往生伝における来迎の諸相について」
西村 実則「ロイマン門下の日本人」
沼倉 雄人「良忠における善導伝考証について」
南 宏信「法然における『往生要集』の受容について」
三輪 晴雄「知恩院第七十世赫譽歓幢上人の生地・師籍について」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』序の作者孟銑について」
吉水 岳彦「元照の極楽浄土観」
梅田 慈弘「浄土宗僧侶与謝野蕪村」
加藤 良光「昭和十七年『共生』誌における椎尾辨匡師の言説について」
加藤 弘孝「伏線的叙述としての「五悪段」」
成田 勝美「浄土宗の立教開宗と証空上人との関連」
秦 博文「知恩院御忌御諷誦の詩文性について」
細川 文明「寺院活動の活性化を探る」
吉田 祐倫「続・俳人僧遜阿の「東桜集」」
三宅 敬誠「ヨコ社会の人間関係と五重相伝(1)」
横井 照典「ヨコ社会の人間関係と五重相伝(2)」
今岡 達雄「先端技術と浄土教」
畦 昌彦「心理療法としての仏教理解」
中村 孝之「法然上人の芸術としての音楽論」
薊 法明「唯識の諸経論における三性説」
齊藤 舜健「〈無量寿経〉の疑惑往生人をめぐって」
廣中 宏雄「浄土宗声明の譜表等に関する一考察(VIII)」
第51号(2007年)
澤田 謙照「慈悲について」
林田 康順「特別部会 慈悲の展開」
長谷川 匡俊「現代社会における慈悲」
薊 法明「「三心」の英語訳について」
伊藤 瑛梨「西方浄土の荘厳について」
遠藤 聡明「文政年間の津軽領内浄土宗寺院の動向」
齋藤 舜健「『観経』所説の「浄業」をめぐって」
柴田 泰山「『無量寿経』所説の八相成道について」
曽田 俊弘「法然上人の三昧発得について」
袖山 榮輝「無量寿経における名号について」
田中 芳道「善導の教学の研究 『法事讃』における光明について」
西村 実則「オルデンベルクに出会った日本人」
長谷川 浩亨「新発見 金剛寺蔵『般舟讃』の書写年代」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』における三階教批判 その二」
吉田 祐倫「俳人僧遜阿と「東櫻集」をめぐって」
三宅 敬誠「寺院のコミュニティ作りと五重相伝の役割(1)」
横井 照典「寺院のコミュニティ作りと五重僧伝の役割(2)」
伊藤 真昭「近江膳所藩領における浄土宗寺院の住職相続について」
今岡 達雄「生命倫理問題への浄土教団としての視座」
加藤 良光「法然上人二十五霊場の詠歌について(5)」
成田 勝美「浄土宗相承からみた『一紙消息』」
秦 博文「知恩院御忌の雑諷誦について」
水元 明法「知識社会における寺院Webサイトの役割」
岩田 斎肇「Ojo and Eternity」
廣中 宏雄「浄土宗声明の譜表などに関する一考察(x87Z)」
第50号(2006年)
丸山 博正「「いのち」について」
広瀬 卓爾「「生命」から「いのち」へ」
藤堂 俊英「「生命」から「いのち」へ」
司馬 春英「「生命」から「いのち」へ」
林田 康順「「生命」から「いのち」へ」
峰島 旭雄「「生命」から「いのち」へ」
鷲見 定信「「生命」から「いのち」へ」
武田 道生「「いのち」を考える」
坂上 雅翁「「いのち」を考える」
林田 康順「「いのち」を考える」
今岡 達雄「「いのち」を考える」
水谷 浩志「「いのち」を考える」
朝岡 知宏「永観の仏身観」
石川 琢道「『往生論註』にみられる自力・他力について」
石田 一裕「『倶舎論』における言依(kathāvastu)について」
伊藤 弘道「法然上人の教化」
遠藤 聡明「文化年間の津軽領内浄土宗寺院の動向」
角野 玄樹「行具の三心考」
工藤 量導「迦才『浄土論』における化土解釈」
郡嶋 昭示「念仏仏出世本懐について」
塩竈 義弘「春日部円福寺の木彫当麻曼陀羅について」
柴田 泰山「『無量寿経』所説の「慈氏菩薩」について」
袖山 榮輝「『無量寿経』「無量寿仏声」をめぐって」
林田 康順「凡入報土の論理」
藤本 淨孝「法然上人における二種深心について」
水元 明法「寺院経営の問題と対策」
村上 真瑞「懐感の年代再考」
吉水 岳彦「飛錫の「是心作仏是心是仏」釈」
吉水 英之「平安往生伝における往生の証拠について」
和田 典善「『往生要集』における迦才『浄土論』」
今岡 達雄「科学技術の進歩と浄土教」
巌谷 勝正「伊南村五十嵐孫助の浄土宗信仰について」
加藤 善也「祭文の研究」
加藤 良光「椎尾辨匡師著『国体と仏教』について」
西城 千珠「渡辺海旭上人の社会事業」
塩路 善澄「和歌山県下に於ける徳本名号碑等の調査報告と徳本行者熊野巡錫の一考察」
秦 博文「「高祖」の呼称について」
三輪 晴雄「備後浄念寺所伝麻布彩色幕について」
吉田 祐倫「勤皇僧・神原精二伝」
三宅 敬誠「信仰のコミュニティづくり〈Ⅰ〉」
畦 昌彦「教化活動にいかすカウンセリング」
横井 照典「信仰のコミュニティづくり〈Ⅱ〉」
梅田 慈弘「『三宝絵』に於ける仏教説話からの所感」
成田 勝美「三祖良忠上人の回心とその時期」
樋口 伸生「ハンセン病差別問題啓発について」
廣中 宏雄「浄土宗声明の譜表等に関する一考察(Ⅵ)」
第49号(2005年)
髙橋 弘次「浄土宗義と共生」
奈良 康明「「共生の実践」」
藤本 淨彦「「共生の実践」」
小川 一乗「「共生の実践」」
渡辺 寶陽「「共生の実践」」
袖山 榮眞「「共生の実践」」
柴田 哲彦「「共生の実践」」
藤堂 俊英「「共生の実践」」
奈倉 道隆「「共生の実践」」
飯田 元紀「元暁『阿弥陀経疏』について」
伊藤 茂樹「隆寛の別時念仏講について」
上野 忠昭「『選択集』第八章至誠心釈について」
遠藤 聡明「寛政・享和年間の津軽領内浄土宗寺院の動向」
小川 裕子「宗教ツーリズムをめぐって」
小川 慈祐「宗教ツーリズムをめぐって」
角野 玄樹「法然和語文献の研究」
工藤 和興「「空也誄」と平安浄土教」
粂原 恒久「浄土教における往生の諸相」
郡嶋 昭示「良忠『浄土宗要集聴書』に見られる聖光の法語について」
齋藤 隆信「善導の浄土教儀礼における通俗性」
柴田 泰山「『無量寿経』所説の「普賢之徳」について」
東海林 良昌「九条家の信仰世界(二)九条兼実」
袖山 榮輝「『大阿弥陀経』に於ける光明と聞我名字」
曽根 宣雄「法然浄土教と臨終行儀」
田中 芳道(実マルコス)「善導の十悪懺悔文」
林田 康順「選択本願念仏と結帰一行三昧」
松永 知海「忍澂上人の蓮社号について」
水元 明法「寺院経営の問題と対策」
三宅 徹誠「袋中上人の一切経蒐集について」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』に説かれる三階教批判(その1)」
森山 清徹「カマラシーラの『金剛般若経釈』と後期中観思想の形成」
吉田 淳雄「明恵『摧邪輪』の法念批判 再考」
吉水 岳彦「道信の一行三昧」
和田 典善「『往生要集』説示の往生について」
今岡 達雄「社会変化と浄土教」
梅田 慈弘「与謝蕪村と見性寺」
江島 尚俊「日清戦争前後にみる浄土宗のアジア認識」
加藤 善也「祭文の研究」
加藤 良光「法然上人二十五霊場の詠歌について(4)」
竹内 真道「本山蓮花寺蔵「五巻伝」における一向上人の奇跡について」
成田 勝美「三祖良忠上人と宇治志津川の記主庵」
吉田 祐倫「「古典の中の仏教説話と布教」」
三宅 敬誠「僧の復権について(1)」
横井 照典「僧の復権について(2)」
畦 昌彦「教化活動の一助としてのカウンセリング」
曽田 俊弘「中国の仏教信仰の現状」
秦 博文「「布教としての知恩院御忌」(二)」
廣中 宏雄「浄土宗声明の譜表等に関する一考察(Ⅴ)」
第48号(2004年)
藤井 正雄「特別講演「浄土宗と共生の思想」」
小泉 顕雄「シンポジウム「共生の実現をめざして」(1)」
大南 龍昇「シンポジウム「共生の実現をめざして」(1)」
池見 澄隆「シンポジウム「共生の実現をめざして」(1)」
石川 到覚「シンポジウム「共生の実現をめざして」(1)」
武田 道生「シンポジウム「共生の実現をめざして」(1)」
武田 道生「シンポジウム「共生の実現をめざして」(2)」
上田 裕也「シンポジウム「共生の実現をめざして」(2)」
谷中 信巌「シンポジウム「共生の実現をめざして」(2)」
落合 崇志「シンポジウム「共生の実現をめざして」(2)」
峰島 旭雄「シンポジウム「共生の実現をめざして」(2)」
石川 琢道「飛錫の実践論」
遠藤 聡明「明和・安永年間の津軽領内浄土宗寺院の動向」
小川 慈祐「スペインの「癒し」のツーリズム」
加藤 良光「法然上人二十五霊場の詠歌について(3)」
工藤 和興「平安浄土教における在家者の位置」
粂原 恒久「浄土教における往生観」
郡嶋 昭示「聖光『浄土宗要集』と良忠『聴書』の関係について」
西城 宗隆「弘経寺と桑原大英上人」
齊藤 隆信「浄土教礼讃偈の通俗性」
柴田 泰山「善導『観経疏』所説の「二乗種不生」説について」
袖山 榮輝「『無量寿経』現代語訳化の諸問題(2)」
曽根 宣雄「『念仏三昧宝王論』における仏身論について」
曽和 義宏「迦才『浄土論』の版本について」
西村 実則「萩原、渡辺とローゼンベルク(正)」
林田 康順「法然上人『観無量寿経釈』に説かれる「人中分陀利華」釈をめぐって」
吉水 岳彦「道信の「是心作仏是心是仏」釈」
石川 隆信「心理療法における「愚者の自覚」」
角野 玄樹「法然の三心の変遷」
村上 真瑞「建中寺経蔵の建立縁起と大蔵経」
荻須 眞教「長野教区における青少年育成、児童教化の現況と今後の課題」
加藤 善也「祭文の研究」
成田 勝美「三祖良忠上人の相承について」
法山 直然「勧経の「宝樹観」と「宝池観」」
秦 博文「布教としての知恩院御忌(一)」
廣中 宏雄「浄土宗声明の譜表等に関する一考察(IV)」
第47号(2003年)
坪井 俊映「特別講演:還愚往生」
白簱 文雄「愚者の自覚をどう説くか」
松田 等照「愚者の自覚をどう説くか」
鈴木 超淳「愚者の自覚をどう説くか」
広瀬 卓爾「愚者の自覚をどう説くか」
阿川 正貫「日本における水陸会の伝承」
岩田 斎肇「欧州における宗教多元化」
遠藤 聡明「元文・寛保・延享・寛延年間の津軽領内浄土宗寺院の動向」
加藤 良光「浄土宗宗紋の問題点(1)」
金子 寛哉「「去此不遠」の釈をめぐって」
粂原 恒久「道綽における相・無相論への一視点」
柴田 泰山「随代仏教の浄土観」
袖山 榮輝「『無量寿経』現代語訳化における諸問題」
成田 勝美「二河白道式伽藍配置の所在」
服部 淳一「『聖冏禅師五百年遠忌記念帖』における聖冏像」
林田 康順「『選択集』第十一章の成立をめぐって」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』に説かれる唯除五逆と造逆往生の問題について」
今岡 達雄「一般寺院におけるホームページ運用について」
神田 眞晃「五重相伝に於ける「合掌―能左所右」の変遷」
正村 瑛明「結縁五重相伝会を盛んにするために」
三荒 弘道「浄土宗における結婚の証についての提案(1)」
鷲見 宗信「浄土宗における結婚の証についての提案(2)」
押野 尚雄「卒塔婆についての一考察」
加藤 善也「祭文の研究」
小島 泰雄「経典、香語の現代化」
山仲 良隆「心の時代と仏教者の意識」
廣中 宏雄「浄土宗声明の廻旋譜等に関する一考察(III)」
第46号(2002年)
石上 善應「愚に還る」
奈良 康明「浄土教の人間観」
柴田 良稔「浄土教の人間観」
袖山 榮眞「浄土教の人間観」
藤本 淨彦「浄土教の人間観」
鷲見 定信「浄土教の人間観」
伊藤 竜信「中国初期仏教受容に関する一考察」
石川 琢道「『往生論註』所説の奢摩他・毘婆舎那について」
巌谷 勝正「香誉祐海の「勧修百万遍十界一心願生西方作福念仏図説」について」
遠藤 聡明「貞享以前の津軽領内浄土宗寺院の動向」
落合 俊典「『観無量寿経』の日本古写本について」
加藤 良光「法然上人二十五霊場の詠歌について(2)」
金子 寛哉「「二乗種不生」について」
粂原 恒久「仏土論と本願に関する一視点」
小林 尚英「良忠門下の良聖について」
柴田 宗山「「五種増上縁義」について」
柴田 泰山「善導の教学背景」
中御門 敬教「〈無量寿経〉と普賢行」
西村 実則「大衆部の発祥地」
村上 真瑞「往生浄土における中陰の有無について」
林田 康順「法然上人による倶会一処説示の意義」
八木 宣諦「梁代の造像記について」
吉田 淳雄「近年の法然浄土教研究について」
石川 隆信「心理療法に見る大乗仏教思想」
今岡 達雄「インターネットによる布教の可能性」
上田 千年「仏教福祉という用語の系譜」
梅田 慈弘「法然浄土教の核心について」
小島 泰雄「近世往生人「安西大徳の愚鈍念仏」」
成田 勝美「加茂浄瑠璃寺の二河白道図」
三宅 敬誠「宗教社会福祉(Church Social Work)の認知と寺院の教化活動」
水元 明法「布教と情報技術」
加藤 善也「祭文の研究」
高橋 清海「法然教学布教の現代的意義」
廣中 宏雄「浄土宗声明の廻旋譜等に関する一考察(II)」
第45号(2001年)
廣川 堯敏「阿弥陀仏をどう説くか」
安富 信哉「阿弥陀仏をどう説くか」
八木 季生「阿弥陀仏をどう説くか」
上田 見宥「阿弥陀仏をどう説くか」
今岡 達雄「「阿弥陀仏の表現」アンケート調査の詳細分析」
遠藤 聡明「享保年代の津軽領内浄土宗寺院の動向」
加藤 良光「法然上人二十五霊場の詠歌について」
兼岩 和広「廬山寺蔵『選択集』の原資料をめぐって」
金子 寛哉「『群疑論』に於ける「往生」に関わる問題」
小林 尚英「下総地方における鬼来迎信仰について」
柴田 泰山「善導『観経疏』所説の「指方立相」について」
柴田 宗山「善導『般舟讃』所説の懺悔について」
曾根 宣雄「法然上人と諸行往生」
中御門 敬教「歓喜踊躍の用例」
西村 實則「『称讃浄土仏摂受経』にみる「蔑戻車」(mleccha)」
林 純教「西蔵語訳『一万頌般若経』第一章に於ける会衆について」
林田 康順「法然上人における難易義成立の意義」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』に説かれる中有思想の研究」
八木 宣諦「「塚本靖旧蔵の中国拓本(大正大学蔵)」」
粂原 勇慈「中国浄土教における仏身仏土論の展開」
久米原 恒久「中国浄土教における仏身仏土論の研究」
服部 淳一「聖冏教学における仏土について」
石川 三雄「偈文韻文訳の試み(その三)」
袖山 榮輝「王舎城悲話に見られる命濁観」
松涛 基道「百万遍念仏の実際」
安永 宏史「「聖光上人の布教を現代に活かす」」
石畠 俊徳「勢観房源智上人の奇しき生涯」
伴 乃昶「光明遍照(同和研修に学ぶ)」
加藤 善也「祭文の研究」
坂上 雅翁「五台山大聖竹林寺について」
吉田 光覚「布施行について」
廣中 宏雄「浄土宗声明の廻旋譜等に関する一考察」
第44号(2000年)
春本 秀雄「北魏法難の研究(7)」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』七寺本新出資料と本文との比較考察、及び現代語への試訳」
遠藤 聡明「奥内清岸寺旧蔵諸写本による江戸時代の金光上人関係文献の再検討」
林田 康順「盧山寺蔵『選択集』における法然上人による推敲」
兼岩 和宏「盧山寺蔵『選択集』第二章について」
柴田 泰山「善導『観経疏』に見られる諸師批判」
木村 迎世「『安楽集』における『維摩経』について」
法山 直然「観経の地想観」
良田 秀俊「地方史に見る僧の社会的活動について」
石川 三雄「偈文韻文訳の試み」
今岡 達雄「現代布教を考える」
吉田 淳雄「長西の著作について」
加藤 善也「祭文の研究」
第43号(1999年)
林田 康順「法然上人「選択思想」と「勝劣難易二義」の位置」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』における有相と無相との対論」
遠藤 聡明「宝永五年の弘前新寺町稲荷神社の勧請と別当白狐寺の造営」
小林 尚英「法然上人の生死輪廻解脱観」
金子 寛哉「『瑜伽師地論』と『群疑論』」
広川 尭敏「撰述八百年記念 英訳選択集出版の意義」
小林 良信「『選択集』英訳作業上の諸問題」
宮沢 正順「道教と浄土教」
兼岩 和広「盧山寺蔵『選択集』第三章について」
春本 秀雄「北魏法難の研究(6)」
柴田 泰山「善導『般舟讃』所説の「心識」について」
巌谷 勝正「延宝年間から貞享年間の檀林法制について」
硯川 真旬「一宗「福祉」事業展開の一考察」
法山 直然「観経の地想観」
吉田 淳雄「「法然門下」再考」
今岡 達雄「インターネットによる宗教意識調査」
石川 三雄「往生礼讃韻文訳の試み」
天野 信浩「布教の原点」
小泉 顕雄「環境問題と浄土宗布教」
渡辺 昭彦「間合の布教」
加藤 善也「祭文の研究」
吉田 光覚「視覚に訴える三宝護持」
中村 孝之「浄土宗日常勤行式に於ける音声(声楽)の妙技」
大室 照道「マイクロソフトフロントページ98を使用したホームページ発行の一例」
第42号(1998年)
林田 康順「法然上人思想史再考序論」
八木 宣諦「梵字名号について」
木村 迎世「『安楽集』における念仏三昧」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』における有相と無相との対論」
石川 隆信「念仏策励のための内観」
曽田 俊弘「恵雲(真宗高田派)の著者にみられる『法然上人伝記』「三心料簡事以下二十七法語」」
兼岩 和広「盧山寺蔵『選択集』第八章における『観経疏』の引文について」
瀧口 宗紀「『法滅尽経』の成立とその影響」
中村 良観「仏法東漸」
遠藤 聡明「宝永・正徳年代の津軽領内浄土宗の動向」
神谷 正義「信行相応について」
春本 秀雄「北魏法難の研究(5)」
林 純教「西蔵訳『一万頌般若経』に見られる九分教、十分教、十一分教について」
柴田 泰山「隋・唐初期浄土教における生因論」
中村 孝之「日常勤行式の中にある鼻濁音の発声法」
硯川 真旬「一宗「福祉」事業展開の一考察 その8」
森山 清徹「カマラシーラの他不生の論証とダルマキールティの刹那滅論」
第41号(1997年)
西村 実則「『婆沙論』結蘊について」
林田 康順「恵空書写本漢語灯録所収『逆修説法』について」
巌谷 勝正「現世利益の一側面」
遠藤 聡明「元禄時代の津軽領内浄土宗の動向」
柴田 泰山「『無量寿観経纉述』について」
金子 寛哉「『群疑論』における九品説」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』における五念門の考え方」
法山 直然「地想観について」
林 純教「西蔵訳『一万頒般若経』の一考察」
春本 秀雄「北魏法難の研究(4)」
東海林 良昌「法然上人と葬送」
石川 隆信「念仏による癒しと内観療法における癒し」
八木 宣諦「知恩院の名号資料」
石畠 俊徳「法然上人の出自を偲ぶ」
清水 秀治「浄土宗法式雑考(12)」
硯川 真旬「一宗「福祉」事業展開の一考察(その七)」
中村 孝之「西暦1175年前後の民衆音楽の側より法然上人の口称念仏の旋律を考える」
竹本 寿光「諸仏の出現(一)」
第40号(1996年)
林 純教「『般舟三昧経』西蔵訳および諸漢訳における比較研究(三)」
宮沢 正順「至游居士曽慥と盧山について」
金子 寛哉「法然上人の「本願成就文」について」
塩竈 義弘「当麻曼陀羅転写作成の意義について」
神谷 正義「三心具足と機の問題」
吉水 成正「増上寺と徳川家光の関係について」
春本 秀雄「北魏法難の研究(3)」
石畠 俊徳「法然上人『孝養名号』相伝次第」
小林 清尚「『十二問答』の伝承形態」
遠藤 聡明「江戸時代の金光上人顕彰運動(2)」
林田 康順「法然上人『往生要集詮要』の研究」
巌谷 勝正「増上寺第三十六世顕誉祐天と桂昌院」
吉水 義浩「聖冏上人の教判について」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』索引作製の詳細」
村上 真完「初期の仏教における分析的思考と人間存在」
第39号(1995年)
伊藤 真宏「法然詠出和歌の研究(三)」
林 純教「『般舟三昧経』チベット訳および漢訳諸本における比較研究(二)」
遠藤 聡明「江戸時代の金光上人顕彰の様相(1)」
小林 清尚「『上人和字抄』所収『十二問答』の「第一問答」について」
石畠 俊徳「法然上人文状「阿弥陀護摩一七箇日支度事」について」
西本 明央「善導と諸師の像想観釈」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』における指方立相をめぐる法相との対論」
金子 寛哉「『群疑論』と『安楽集』」
石川 隆信「心理療法の癒しと浄土教」
斉藤 舜健「『西方要決』所説の願往生者」
春本 秀雄「北魏法難の研究(2)」
林田 康順「明治八年「信教ノ自由」口達と浄土宗政」
加藤 善也「祭文の研究」
三宅 敬誠「仏教と稲作・米食文化についての一考察」
野田 隆生「長谷川良信における仏教社会事業について」
塩竈 義弘「当麻曼荼羅における水相について」
法山 直然「観経曼荼羅の地想観について」
村上 真完「空性(śūnyatā, 空であること)考」
森山 清徹「後期中観派の意知覚批判」
本庄 良文「玄奘訳『倶舎論』における「順」の意味」
第38号(1994年)
横田 善教「中国初期天台における末法思想の再点検」
八木 宣諦「南北朝、室町期の名号」
宇高 良哲「浄土教関連典籍データベース検索システムの開発」
市川 隆士「経典データベースの課題」
伊藤 真宏「浄土宗歌謡史(2)」
小林 清尚「『師秀説草』の伝承過程」
金子 寛哉「法然上人所引の「道鏡」と「妙雲」について」
神谷 正義「法然上人における念仏の特質」
塩竈 義弘「当麻曼陀羅図の勢至菩薩について」
西田 圓我「黒戸の念仏」
村上 真瑞「『安養集』に引用される『釈浄土群疑論』」
落合 俊典「新集安公疑経録に見られる毘羅三昧経と惟務三昧経について」
小阪 匡宏「『十地経』の階位説の解明についての試論」
林 純教「『般舟三昧経』西蔵訳および漢訳諸本における比較研究(一)」
春本 秀雄「北魏法難の研究(1)」
林田 康順「王日休『龍舒浄土文』の影響(五)」
本庄 良文「『倶舎論』における余部阿含の引用」
梶原 隆淨「矢吹慶輝研究について」
別府 一道「矢吹慶輝研究について」
村上 真完「差別と無差別」
森山 清徹「ツォンカパの無我、無明論」
廣川 堯敏「選択集英訳の諸問題」
山極 伸之「ニカーヤに見られる律的内容」
第37号(1993
年)
中野 正明「『法然上人伝法絵』(四巻伝)の諸本について」
八木 宣諦「源空の署名」
榎本 正明「新出・七寺蔵『頭陀経』について」
落合 俊典「七寺一切経と法勝寺金字一切経」
加藤 善也「祭文の研究」
別府 一道「『円光大師行状画図翼賛』にみえる『九巻伝』」
遠藤 聡明「東北地方の遺像に伝わる金光上人関連伝承」
金子 寛哉「金光上人遺蹟寺院別資料整理」
塩竈 義弘「当麻曼陀羅における文殊菩薩像」
西村 実則「四念処の一考察」
林 純教「『般舟三昧経』諸異訳における支婁迦讖三巻本の特色」
林田 康順「王日休『龍舒浄土文』の影響(二)」
宮澤 正順「中国浄土教の展開と『抱朴子』」
山路 芳範「『義楚六帖校訛』考」
春本 秀雄「北魏太武帝の仏教観」
法山 直然「善導大師の信仰」
伊藤 真宏「浄土宗歌謡史(1)」
武田 道生「浄土教系信仰運動・一味会の弥陀観」
安井 隆同「「一枚起請文」における五段階表記と句読点」
袖山 栄輝「サンガの理解について」
白嵜 顕成「JitāriとHaribhadra」
森山 清徹「後期中観派と形象虚偽論者」
村上 真完「pamuñcantu saddhaṃ再考」
牧 達玄「阿含経典中に散在する地獄関係の資料整理(一)」
本庄 良文「馬鳴作『サウンダラナンダ』第13章,22-26」
松濤 泰雄「Tattvārthā(Ⅴ)」
平岡 聡「業観の変遷」
山極 伸之「根本一切有部律犍度部の研究(7)」
第36号(1992年)
小澤 憲珠「『菩薩善戒経』の諸問題」
神居 文彰「近世における看取りの展開」
落合 俊典「七寺一切経中の別存経について」
善 裕昭「一念の声明・多念の声明」
神谷 正義「師皇円と法然上人」
中野 正明「初期法然伝の比較研究」
林田 康順「王日休『龍舒浄土文』の影響」
小林 清尚「『逆修説法』七七日における女人往生について」
山路 芳範「『義楚六帖』「行列高行」について」
阿川 正貫「用欽著作中の善導について」
福原 隆善「『観経』における白毫相」
石橋 真誡「元暁の教判論」
遠藤 聡明「天童三宝寺弁識『金光上人事蹟』にみる『金光禅師行状』の問題点」
春本 秀雄「寇謙之の仏教観」
村上 真瑞「七寺所蔵『釈浄土群疑論』の特徴」
梶原 隆浄「『往生論』の五念門に関する一考察」
竹内 真道「『成唯識論』における凡夫の死について」
村上 真完「色即是空(rūpaṃ śūnyatā)原意考」
武田 道生「浄土宗の信仰覚醒運動」
塩竈 義弘「当麻曼陀羅図における文殊・普賢菩薩について」
加藤 善也「祭文の研究」
宮林 雄彦「祐崇上人の遺跡寺院について」
金子 寛哉「祐崇上人と十夜法要」
松濤 泰雄「Tattvārthāにおける異論師説(Ⅱ)」
本庄 良文「貪(rāga)と愛(tṛṣṇā)との同異」
平岡 聡「『ディヴィヤ・アヴァダーナ』にみられる律典的記述」
山極 伸之「根本説一切有部律犍度部の研究(4)」
第35号(1991年)
善 裕昭「法然上人における重要用語の検討」
西村 実則「大衆部・説出世部における説法師」
長谷雄 文彰「臨終における「いきあわせ」について」
曾根 宣雄「『逆修説法』四七日に説かれる三身論について」
渡辺 真宏「『阿弥陀経釈』と『選択集』との関連について」
村松 清道「隆寛一族と真言教団」
中野 正明「安居院西法寺所蔵残欠異本『和語灯録』について」
廣川 堯敏「『観経疏他筆鈔』の成立」
小林 清尚「聖覚の「四十八願釈」について」
花田 玄道「法本房行空について」
木村 貫学「『一枚起請文』における「存ず」について」
牧 達玄「心の鬼を殺す」
山路 芳範「『義楚六帖』第九巻から第十二巻について」
鵜飼 光昌「劉宋慧琳年譜稿」
春本 秀雄「北魏太武帝の図讖禁絶」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』索引の作製」
八木 宣諦「官寺系の名号について」
山田 智旭「『浄土十勝論』よりみたる澄円菩薩の思想信仰」
林田 康順「法然上人「選択」思想の先例考」
落合 俊典「七寺一切経の番外二、三函について」
塩竈 義弘「当麻曼荼羅述奨記について」
若麻積 敏隆「イメージから捉えた極楽の深層」
阿川 文正「金光上人事蹟調査と収集資料の整理について」
金子 寛哉「金光上人事蹟調査資料整理報告」
片山 泰徳「金光上人事蹟調査資料整理報告」
遠藤 聡明「金光上人事蹟調査資料整理報告」
東谷 信昭「『安養集』研究」
神田 隆司「パーリ仏教蔵外文献の一考察」
松濤 泰雄「Tattvārthāについて(Ⅲ)」
真田 康道「提婆の原子論」
本庄 良文「毘婆沙師の三蔵観と億耳アヴァダーナ」
平岡 聡「ディヴィヤ・アヴァダーナに見られる誓願説」
竹本 寿光「過去仏と弥勒仏」
森山 清徹「Madhyamakālokaの直接知覚論と二諦説」
第34号(1990年)
小林 良信「英訳『選択集』について」
竹内 真道「フランス語文献における法然浄土教についての諸問題」
真柄 和人「『夢中松風論』に引用される法然法語」
岸村 定浩「浄土宗布教の歴史的研究」
安達 俊英「法然上人における「選択」思想の展開」
金子 寛哉「『二蔵義本末不審請決』について」
渡辺 真宏「宗学の方法について」
阿川 正貫「引用文にみる択瑛の浄土教」
横田 義教「仙城山慧命の教学について」
春本 秀雄「『提謂波利経』と讖緯思想(Ⅱ)」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』諸本の研究」
落合 俊典「『求法高僧伝』の諸本について」
八木 宣諦「北魏僧の書について」
長谷雄 文彰「臨終行儀と血脈について」
小林 清尚「光明真言法発展過程について」
中野 正明「聖光門下敬蓮社入阿の浄土宗史上における役割」
塩竈 義弘「当麻曼陀羅の中台について」
山田 智旭「澄円菩薩著『浄土十勝論』について」
大澤 亮我「浄土宗における四天王」
香川 孝雄「「仏微笑」の系譜」
加藤 良光「宗教団体「エホバの証人」の反進化論」
清水 秀浩「浄土宗法式雑考(五)」
家田 隆現「ジャワの影絵ワヤン・クリにみられたわが国仏教芸能文化との同事性に関する一考察」
粂原 勇慈「正像末三時と三階教の法滅観」
村上 真完「仏滅年代論」
真田 康道「龍樹の原子論」
本庄 良文「漢訳雑阿含・ウパーイカー対照」
森山 清徹「KamalaśīlaとHaribhadra」
第33号(1990年)
大南 竜昇「アメリカにおける法然上人研究」
本庄 良文「『決定義経註』梵本と『縁起経釈』『釈軌論』」
村上 真瑞「『釈浄土群疑論』に説かれる別時意会通について」
塩竈 義明「二河白道図の図相的展開」
岸村 定浩「近世浄土宗の布教について」
真柄 和人「『夢中松風論』に引用される法然上人の法語(一)」
服部 淳一「聖冏教学における仏意」
粂原 勇慈「善導教学と三階教」
中野 正明「醍醐本『法然上人伝記』構成上の問題点」
服部 正穏「法然語録における「サトリ」の語義」
梶村 昇「往生の奇瑞をめぐって」
高橋 松海「法然教学の主体性 其三十三」
渡辺 真宏「『観経疏』における三昧について」
大橋 俊雄「『然阿上人伝』の成立をめぐって」
阿川 文正「金光上人事蹟調査」
遠藤 聡明「金光上人事蹟調査」
金子 寛哉「金光上人事蹟調査」
阿川 正貫「南北朝期の国家と仏教」
安達 善教「慧思における業の問題について」
東谷 信昭「義寂の『無量寿経述義記』について」
春本 秀雄「『提謂波利経』と讖緯思想」
鈴木 成正「浄華院の塔頭について」
良田 秀俊「不断念仏の地方的展開の一例」
落合 俊典「『遊心安楽道』の諸本について」
長谷雄 文彰「『最後御所労以後事』における臨終行儀」
小林 清尚「『二十五三昧起請』に於ける一問題」
石橋 真誡「隆堯法印の著述とその思想」
西田 圓我「禁裡念仏と浄土宗」
武田 道生「宗門大学における宗教学の位置」
真田 康道「中観瑜伽二派の言語的世界の根拠」
石畠 俊徳「祖師像内奉籠の造立願文を拝読して」
山田 智旭「澄円菩薩著『浄土十勝論』について」
塩竈 義明「称讃浄土経と当麻曼陀羅」
清水 秀浩「浄土宗法式雑考(四)」
水谷 浩志「デスエデュケイションの役割と課題」
森山 清徹「KamalaśīlaとHaribhadra(2)」
南 清隆「パーリ語theraの意味概念の変遷をめぐって」
第32号(1988年)
村上 真瑞「懐感の立場に対する誤解の解明」
南 清隆「後期パーリ語文献に対する書誌的考察(1)」
本庄 良文「シャマタデーヴァの伝へる増一阿含」
善 裕昭「幸西の弥陀本迹二門説について」
小林 清尚「『二十五三昧起請』における一問題」
塩竈 義弘「当麻曼陀羅の四句の偈」
金子 寛哉「『法事讃私記』について」
服部 純雄「『往生論註』の浄土の衆生について(三)」
服部 淳一「『浄土生無生論』について」
春本 秀雄「北魏太武帝と崔浩」
高橋 松海「法然教学の主体性 其三十二」
西村 実則「『集異門論』の著者」
松濤 泰雄「称友疏の写本について」
村上 真完「原始仏教における信の原型」
小林 良信「<無量寿経>の序文について(Ⅰ)」
森山 清徹「『中観光明論』と『ロサル宗義書』」
山田 智旭「澄円菩薩の行実と思想」
良田 秀俊「『一言芳談』の下津村慈阿弥陀仏について」
大橋 俊雄「法然上人の「没後遺誡」に見える六条尼御前について」
若麻積 敏隆「阿弥陀浄土変展開についての一考察」
塩竈 義明「二河白道図の種々相」
阿川 正貫「浄土宗関連の謡曲について」
八木 宣諦「名号の系譜一」
松尾 信亮「明治期の仏教育児事業について」
吉田 光覚「小中学校の教科書に見る仏教教材の研究」
長谷川 匡俊「浄土宗社会事業史の基礎的研究」
落合 崇志「浄土宗社会事業史の基礎的研究」
中村 孝之「緑山に於ける静寛院宮五十年祭に唱えられた声明」
長谷雄 文彰「真言系臨終行儀における葬祭との連関」
清水 秀浩「浄土宗法式雑考(3)」
久米原 恒久「法然上人御法語に関する一視点」
池見 澄隆「死と救済」
斉藤 舜健「ENCYCLOPEDIA TIBETICA VOL.18 所収“大宝積経解題集”について」
山極 伸之「Vinayasūtra資料編」
第31号(1987年)
落合 崇志「浄土宗社会事業史の基礎的研究」
長谷川 匡俊「浄土宗社会事業史の基礎的研究」
小此木 輝之「浄土宗社会事業史の基礎的研究」
石川 倒覚「浄土宗社会事業史の基礎的研究」
坂上 雅翁「浄土宗社会事業史の基礎的研究」
小林 尚英「良忠上人の業績」
服部 淳一「聖冏教判の構成」
梶村 昇「高倉天皇御得戒について」
大橋 俊雄「道光撰『然阿上人伝』について」
野村 恒道「勢観房源智の歓進」
阿川 正貫「隋唐の礼敬問題」
上野 忠昭「観音信仰と称名」
粂原 勇慈「『念仏鏡』の対三階門」
石橋 成康「房山石経洞新出「般若心経」版本考」
春本 秀雄「崔浩と寇謙之」
福原 隆善「悟真寺水陸庵の現状」
金子 寛哉「浄業法師碑について」
塩竈 義明「二河白道説の思想材について」
渡辺 真宏「『観念法門』における三昧について」
村上 真瑞「懐感と迦才における浄土理解の相違」
服部 純雄「『往生論註』の浄土の衆生について(二)」
石橋 真誡「一乗思想の解釈論」
長谷雄 文彰「日本仏教における臨終行儀」
塩竈 義弘「当麻曼陀羅の織付縁起について」
笹田 教彰「無住と専修念仏」
鈴木 成正「浄華院と金戒光明寺の兼帯問題について」
福田 行慈「浄華院と金戒光明寺」
中野 正明「清浄華院所蔵良忠筆録「善導寺御消息」について」
宇高 良哲「浄土宗における寛永の本末改めについて」
佐藤 雅彦「初期仏教における生死観について」
吹田 隆道「梵文「大本経」第二章 覚え書き」
白崎 顕成「Jitāriのアートマン批判」
佐藤 友道「仏教天文学に就いての一考察」
川添 崇祐「教団内信仰運動の様態と意味」
八木 宣諦「親鸞の名号書蹟について」
松永 聖弘「現代青年にとって宗教とは アンケート調査について」
伊達 亮芝「於諸衆生視若自己に就いて」
森 博純「一心院所蔵の捨世派祖称念上人の御文書の一端見」
吉田 光覚「檀家の実態」
清水 秀浩「浄土宗法式雑考(2)」
村上 達亮「信仰心を育てる模索」
家田 隆現「西雲院宗厳と万日別時念仏」
竹中 信常「現代日本の祖先崇拝の問題点」
玉山 成元「三祖良忠上人について」
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