行事の記録(過去開催分)


令和2年度(2020年度)

◇教学院公開講座


日時:令和3年2月26日(金)

形態:オンライン開催(zoom利用)

講師①:青木淳氏(多摩美術大学教授)

講題①:「初期源空教団と『平家物語』の時代―新出の愛知・西光寺「一行一筆結縁経」のふくむもの―」

概要①:

 数年前に愛知県津島市西光寺の地蔵菩薩像の胎内から「一行一筆結縁経(写経)」が新たに確認された。それは法華経の開・結にあたる「無量義経」と「観 普賢経」、その行末には筆写した人物の名が書かれている。すでに大阪・一心寺 からも「一行一筆結縁経(般若心経・阿弥陀経)」が確認されていたことから、この二つの写経の間にある「何か」がとても気になっていた。

 一心寺経からは「源空=法然上人」の記名が確認されていたことから(浄土宗刊『法然上人聚英』)、さらにその周縁部にある歴史的な、あるいは伝説的な出 来事や人師の動向が明らかになるのではないかと思った。驚いたのは西光寺経の巻頭には天台僧印西(建礼門院徳子の剃髪の師の名に続いて源空上人の高弟長尊・感西・信空・欣西らの署名が続いていたことだった。

多分この写経の研究は、将来的に初期浄土宗の人師の動向を考える上で極めて重要な意味を持つことになるものと思う。

 

講師②:中野正明氏(教学院副理事長/京都華頂大学・華頂短期大学学長)

講題②:「法然上人真筆文献の再検証―新出・津島西光寺「一行一筆結縁経」法然上人真筆箇所との比較―」

概要②:

 『和合』令和元年10月号(浄土宗発行、令和元年10月1日)に青木淳氏によって津島市西光寺蔵水落地蔵菩薩像像内納入品の一行一筆結縁経『無量義経』に大 阪一心寺蔵一行一筆結縁経『阿弥陀経』の法然上人の署名と共通性がある「源空」の自署が確認されるという慶事が報告された。これを機に既知の法然上人真筆文献類と特に筆跡の比較を通して法然上人真筆文献類全体の再検証を行うとともに、その過程で認められる法然上人を取り巻く人物の署名の存在についても考察を加えたい。

 

◇教学院研究会(東部)


日時:令和3年2月12日(金)13:00~15:20

形態:オンライン開催(zoom利用)

講師①:服部純啓氏(佛教大学大学院博士課程)

講題①:「『決定往生集』における暫信暫不信の得失」

概要①:

 珍海撰『決定往生集』では、一向専精信受を「信心決定義」の大前提としながらも、「暫信暫不信」という、心が不安定な状態である衆生であっても極楽往生が可能であると論じている。特に第二「正果決定」において「暫信暫不信」による往生とは、暫信の期間に信心が確定するので極楽往生が確定するが、暫不信という欠点を有していることから極楽の辺地へ胎生するという二重の構造が見られる。本発表では、「暫信暫不信」の得失に注目し、『決定往生集』における辺地胎生往生の構造の一端を考察する。

 

講師②:長尾光恵氏(大正大学綜合佛教研究所研究生)

講題②:「隋唐代浄土教理史の再構築―懐感を帰結点として―」

概要②:

 本発表は「道綽―善導―懐感」という定型化された中国浄土教理史像を、懐感研究の立場から解体・再構築を試行する。法然の「浄土五祖」設定の影響は強く、中でも時代的に連鎖する「道綽―善導―懐感」の流れは中国浄土教理史研究において、ある種の常識とされてきた。懐感研究も同様であり、善導の存在を常に念頭に置き考察が進められてきた。しかし近年、道綽・善導・迦才などについて同時代諸師を含めた視点での研究が進み、そこで解明された隋唐代浄土教の実像により、懐感の前時代を殊更「道綽―善導」に限定する必然性が失われた。そこで本発表では懐感を隋〜唐代初期浄土教の一応の帰結点として設定、その研究の視座から隋唐代浄土教の再構築を試みる。

 

講師③:前島信也氏(国際仏教学大学院大学日本古写経研究所研究員)

講題③:「敬西房信瑞の教学背景」

概要③:法然上人の孫弟子たる敬西房信瑞は、『和語灯録』『四十八巻伝』などに影響を与えた『明義進行集』を著したことで知られる人物である。しかし、信瑞の他の著作である『浄土三部経音義集』『広疑瑞決集』も鎌倉中期における浄土典籍として非常に重要な位置づけを担っている。本発表では『浄土三部経音義集』『広疑瑞決集』の引用する典籍群を概観し、信瑞が受容した鎌倉中期の文化と、信瑞の教学背景について検討する。

 

◇教学院研究会(西部)


日時:令和3年3月15日(月)14:00~16:40

形態:オンライン開催(zoom利用)

講師①:横田友教氏(佛教大学大学院博士課程)

講題①:「近世における御忌の名称」

概要①

 法然上人の御忌について、近世では知恩院以外の他山・末寺には“御忌”という名称が許されなかったとする論文や書籍が散見される。その背景には、大永の御忌鳳詔が知恩院にのみ下賜されたことや、『翼讃』の記述が関係しているようである。しかし、本当に御忌の名称は知恩院に限定されていたのであろうか。本発表では、当時の地誌や俳諧書、本山の記録から知恩院以外の法然忌にどのような名称が用いられていたのかを明らかにする。

 

講師②:青木篤史氏(浄土宗総合研究所研究員)

講題②:「関東十八檀林における僧侶養成について」

概要②:

 江戸時代に僧侶になろうとする者は、関東に十八ヶ寺あった「関東十八檀林」おける修学が必須であった。檀林寺院においては「九部宗学」と呼ばれる修学方法で学んでいた他、種々の法度の下で生活を積んでいたとされる。その多くは幕府から出されたものとされ、浄土宗における僧侶養成は幕府の影響を強く受けていたと考えてよい。本発表では、生活規範であった種々の法度をはじめとし、修学方法や伝法相承について述べていきたい。

 

講師③:坪井剛氏(佛教大学仏教学部准教授)

講題③:「鎌倉期における専修念仏禁止令」

概要③:

 鎌倉期における専修念仏教団の社会的広がりを考える際、重要な論点となるのが当時の「国家」との関係である。特に、何度か発令されたとされる「専修念仏禁止令」は、専修念仏が「国家的弾圧」を受ける「異端的」な存在であったことの論拠とされてきた。しかし、個々の発令について、その発令主体や文書様式・伝達先・目的などが十分検討されてきたとは言い難い。今回は、法然没後の幾つかの「専修念仏禁止令」について、その発令背景を考察する。