本年度の行事への申込(対面、オンライン)は下記リンクよりお願いいたします。会員に限らず、どなたでもご参加いただけます。
(東西交流会、東部研究会)
※公開講座・西部研究会は対面開催のみのため申込不要です
日時:令和6年2月26日(月)14:00~16:30
形態:対面のみ
場所:浄土宗教化研修会館(源光院)
講師:齊藤隆信(教学院会員、知恩院浄土宗学研究所嘱託研究員)
講題:「無名の彦琮はやっぱり有名だった」
概要:
中国仏教二千年の歴史においては、当時有名であっても、その没後に歴史の表舞台から消されてしまった僧侶がいる。彦琮(557-610)もその一人である。南北朝末期から隋にかけて国家仏教を牽引し、35部の著作を残したほどの活躍ぶりだった。ところが当時盛んになりつつあった宗派仏教に属さなかったため、その学問系統は継承されず、著作の多くが散逸してしまった。没後約1400年、今その功績を正しく顕彰しようと思う。
※講師の近著として『隋東都洛陽上林園翻経館沙門 釈彦琮の研究』(臨川書店、2022年)があります。
日時:令和6年3月11日(月)13:30~16:30
形態:対面+オンライン開催(zoom利用)
場所:大正大学7号館4階742教室
講師①:田中裕成(佛教大学 仏教学部 専任講師)
講題①:「阿毘達磨倶舎論本頌について」
概要①:
世親の『阿毘逹磨倶舎論』は梵本の他に、玄奘訳、真諦訳、蔵訳等が存在する。漢訳には異読があるものの、翻訳者の加筆と考えられ、諸本は同本異訳と扱われてきた。しかし、ポタラ宮所蔵の『倶舎論本頌』の研究から、『倶舎頌』諸本が異本異訳であることが明らかとなった。そこで、本発表では、『倶舎頌』の研究史を紐解き、『ポタラ宮倶舎頌』や真諦『倶舎頌』の異読の紹介と分析を通して、『倶舎頌』の多様性と研究の展望を示す。
講師②:吹田隆徳(大谷大学 文学部 任期制助教、教学院書記)
講題②:「〈薬師経〉の展開―聞名が強調されるようになったのはいつ頃か―」
概要②:
薬師仏の名号を聞くことにより現世利益が得られる。一見すると、〈薬師経〉の中心的思想は聞名にあるように見えるが、古い〈薬師経〉に聞名はほとんど説かれていない。〈薬師経〉はもとから聞名を強調する経典だったわけではなく、時代の経過とともにそのような傾向を帯びていったのである。はたして、それはいつ頃からなのか。様々な年代に属する〈薬師経〉の諸本対照により、聞名が強調されるようになった大まかな年代、ならびにその理由の解明を試みた。今回の発表ではその成果を報告する。
日時:令和6年2月19日(月)13:00~15:00
形態:対面+オンライン開催(zoom利用)
場所:大正大学7号館4階742教室
講師:大谷由香(龍谷大学 文学部 仏教学科 特任准教授)
講題:「東アジアの戒律注疏からみた自死」
概要:
仏教では戒律として「不殺生」を定めていることから、自らを死にいたらしめる行為は厳しく規制されていると考えられがちです。このため、自死者の遺族も、その葬儀を担う僧侶も、なんとなく彼/彼女が自死した事実を正面から受け止めづらく、ともに悲しみの中にありながら、それを共有することが難しい現実があります。自死者に対する仏の対応がどのように伝わり、「不殺生」が東アジアでどのように解釈してこられたのかをたどることで、現在に生きる私たちが自死をどう受け止めていけるか考えてみたいと思います。
※講師の論文として、中外日報社主催の第18回「涙骨賞」を受賞した「不殺生と自死」があります。
※同日・同会場の15:30~17:30まで、浄土学研究会による公開講座/平岡聡「大乗経典の誕生」が催されておりますので、よろしければ併せてお申込くださいませ。
日時:令和6年2月22日(木)14:00~16:30
形態:対面のみ
場所:佛教大学 8号館4階第5会議室
講師①:森田康仁(佛教大学大学院 修士課程修了)
講題①:「最古層資料における経構造の共有についての一考察」
概要①:
仏教経典の中でも最古層と暫定的に認められている資料の一つ、『スッタニパータ』第5章「パーラーヤナ・ヴァッガ」は16の問答経を収録している。この問答部分には偈の重複や行の繰り返しが多く見られることは既に指摘されている。この重複や繰り返しは無秩序に現れているわけではなく、一部の経同士が構造を共有している為に顕著に見られることが分かった。この構造を共有する経同士を分析することによって、最古層資料成立の過程や背景の解明を試みる。
講師②:伊藤晃希(佛教大学大学院 博士後期課程)
講題②:「霊空『旁観記』に見る法然観とその変化」
概要②:
「一大念仏論争」とは近世に天台宗の霊空が浄土宗の念仏を批判したことによって起こった論争である。この論争は、「元禄の安楽騒動」という天台宗内での論争が元となって起こったとされている。しかし先行研究から「一大念仏論争」での霊空の主張にはこれまでの霊空には見られなかった「法然批判」が新たになされていることが分かり、単に天台宗内の論争が起源では説明不足だと私は考える。その不足を解消するために「元禄の安楽騒動」と「一大念仏論争」の間に起こった霊空と浄土宗の論争である「一枚起請文論争」に着目し「一大念仏論争」の起源について考察してみたい。