行事のご案内(過去開催分)


令和4年度(2022年度)

◇教学院公開講座


日時:令和5年3月17日(金)14:00~16:00

形態:対面+オンライン開催(zoom利用)

場所:大正大学 1号館2階大会議室

講師:壬生泰紀氏(龍谷大学 世界仏教文化研究センター 嘱託研究員)

講題:「浄土仏教の原像 ―初期無量寿経の研究を通して―」

概要:

 浄土仏教の最重要経典である無量寿経。最初期の無量寿経の形成過程、思想体系、他経典との思想的交渉などを考究するとともに、その視覚的な展開を視野に、阿弥陀仏像誕生の背景や関連図像のモチーフの解明を試みる。文献学と図像学の両方から初期無量寿経にアプローチすることで、浄土仏教の原像に迫りたい。

 

※講師の近著として『初期無量寿経の研究』(法藏館、2021年)があります。

 

◇教学院東西交流研究会


日時:令和5年3月2日(木)14:00~16:30

形態:対面+オンライン開催(zoom利用)

場所:佛教大学 1号館1階第3会議室

 

講師①:松尾善匠氏(東京大学大学院博士後期課程)

講題①:「南都浄土教における宿善解釈」

概要①:

 浄土教においては、宿善と往生の関係をめぐって、古来種々の言説がなされてきた。特に近世の真宗教学においては細緻な議論が行われており、すでに多くの先行研究によって整理がなされている。これに対し、平安期の浄土教においては、宿善の問題に関し、どのような議論がなされていたのかということについては、未だ十分に明らかになっていない。本発表では、南都の浄土教家として知られる永観・珍海を中心に、平安期の浄土教文献における宿善をめぐる言説を取り上げて、考察を行いたい。 

 

講師②:長尾光恵氏(大正大学大学院研究生)

講題②:「懐感『群疑論』における見仏土の構造―「似無漏の浄土」とは何か?―」

概要②:

 唐初期浄土教では凡夫が観見(往生)する土について、高位の土((報土・無漏)とする説(例えば善導)と低位の土(化土・有漏)とする説(例えば道誾・迦才)が並存していた。そのなか、懐感『群疑論』には「凡夫が観見(往生)できるのは低位の土だが、それは仏の本土に依拠しているため高位の土に極めて似ている」という特異な説、いわゆる似無漏の浄土説が存在する。従来、これは善導の凡入報土説を当時の仏教界に説明するための折衷案的な学説と見做され、詳細な検証が行われてこなかった。そこで本発表では、懐感の見仏見土説や往生浄土説などから「似無漏の浄土」の詳しい構造の解明を試み、懐感がその特異性に込めた意図について言及してみたい。

 

◇教学院研究会(東部)


日時:令和5年2月10日(金)13:15~15:00

形態:対面+オンライン開催(zoom利用)

場所:大正大学 1号館2階大会議室

講師:檜山智美氏(京都大学 白眉センター人文科学研究所 特定助教)

講題:「歴史史料として読むシルクロードの仏教壁画」

概要:

 古代世界における絵画の制作は、高価な顔料やそれを用いるための専門知識、そして莫大な資金を必要とする一大社会事業でした。それは仏教美術でも同様であり、僧団と地域社会を結ぶ役割を果たしていた仏像や仏画には、当時の仏教思想だけでなく、寄進に関わった在家信者の政治・経済的影響力や、地域の歴史と社会などに関する多くの情報が反映されています。本講演ではシルクロードの仏教石窟寺院の壁画に焦点を当て、仏教壁画を文献史料と照らし合わせつつ、当時の仏教僧団と地域社会の関わりの様相を知るための歴史史料として読み解く方法についてお話しします。

 

※講師の近著(共著)として、Giuseppe Vignato, Satomi Hiyama, Petra Kieffer-Puelz,Yoko Taniguchi『Traces of Sarvastivadins in Buddhist Monastries of Kucha (Leipzig Studies)』(Dev Publishers & Distributors、2022年)があります。

 

※同日・同会場の15:30~17:30まで、浄土学研究会による公開講座/落合俊典氏「法然上人と一切経」が催されておりますので、よろしければ併せてお申込くださいませ。

 

◇教学院研究会(西部)


日時:令和5年2月28日(火)14:00~16:30

形態:対面+オンライン開催(zoom利用)

場所:佛教大学 1号館4階1-401~3教室(仮)

講師①:下瑞啓介氏(佛教大学法然仏教学研究センター学術研究員・佛教大学大学院博士後期課程)

講題①:「法然『往生要集』釈書の研究史と課題―両義的な『往生要集』観の受容―」

概要①:

 『黒谷上人語灯録』漢語篇には法然上人の『往生要集』に対する四つの注釈書(『往生要集釈』・『往生要集詮要』・『往生要集料簡』・『往生要集略料簡』)が収録されている。これらの釈書には、成立年代や矛盾する内容の理解等、追究すべき様々な課題があり、これまで多くの研究が積み重ねられてきたが、未だ結論的な見解が成されていない。本発表では、それは何故なのか、これまでの研究史を辿りながら探る。また両義的な『往生要集』観の受容という視点から、それらの課題の解消を試みる。

 

講師②:唐井隆徳氏(佛教大学非常勤講師)

講題②:「初期仏教聖典における「原因」と「生起」について」

概要②:

 初期仏教聖典中には、基本的に「生起」を意味しながら「原因」という語義も担う語がいくつか存在する。その典型例として苦集諦の「集」が挙げられ、苦集を「苦の原因」と訳すことに伴う問題について従来議論されてきた。本発表では、パーリ語で伝承される初期仏教聖典を中心に、「集」をはじめとする「生起」を意味する語の用例を概観し、「生起」と「原因」のいずれの意味で用いられているのかを考察する。さらに、「生起」を意味する語が「原因」という語義を担う背景についても言及する。